【 春一番 】とは、70年代 大阪で生まれた野外コンサートです。
ゴールデンウィークに、このコンサートの為だけに集まる有志スタッフが、
プロデューサー・舞台監督の福岡風太・阿部登たちと共に、【 春一番 】を創っています。
1971年に生まれ、1979年で一旦幕を閉じ、1995年に復活をした【 春一番 】は、
2006年から【 祝春一番 】に改めました。
2020年、主催者である福岡風太は【終・春一番】と名付け、【春一番】を終わろうとし、
開催しようとしましたが、コロナの影響で中止せざるを得ませんでした。
最後の開催が2019年、4年ぶりの【春一番】を開催いたします。
【 祝春一番 】とはどんなコンサートなのか?
このHPがそれを知るきっかけになってくれれば幸いです。
春一番スタッフ
オレとおマエの春一番
2006年の7月から「ハンバートハンバート」という男女2人組アーチストのロード&ステージマネージャーをやらせてもらっています。
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ウッドストック元年、1969年。
大阪にはコンサートが皆無でした。 野外で、ロックンロールで、オールナイトで、LOVEで、 PEACEで、FREEDOMで…みーんなロングヘア。 そんなコンサートを私は望んでいました。 <自由というものは失うものがないことさ>
中川五郎が、「俺とボギー・マギー」でそう歌っていました。
<春一番>を作るすべての作業は、ミュージシャンもスタッフも区別なしです。コンサートを運営する事務所すらありませんでした。
<春一番>は9年間続きました。「楽しかった」というのが最初の<春一番>を終えたときの感想です。
あれから15年が経ちます。私たちも「失うもの」が多くなり、ふっと気がつくとあれほど観たかったコンサート、聴きたくてうたいたかった歌をも見失っている。
ROAD&STAGE MANAGER 福岡風太 |
大阪で特別なイベントが毎年開催されていた。その名は「春一番」。
無名のプロデューサー福岡風太とスタッフ達「ええもんは、ええ」のポリシーで始まったそのイベントには、
そして新しい音楽を求めて集まった超満員の観客は、野外音楽堂のさわやかな初夏の陽射しと風と音楽を
今年1995年の初夏、日本のミュージシャンが再び動き出す瞬間の感動を、
1995年「はるいちばん」配布用チラシより。 |
ミュージシャンもスタッフも、無償で、観たい、聞きたい、うたいたい歌がありました。 それが原動力となって、1971年の5月の連休に『春一番』という名のコンサートは開かれたのです。
『春一番』を作るすべての作業を手作りで行ない、当時と同じように本当に気持ちのよいコンサートをめざし、去年、15年ぶりの『春一番』が復活しました。 そして私たちは、もっともっと自由になるために、 1996年5月の連休も、服部緑地野外音楽堂で『春一番』を開催いたします。 去年(1995年5月)再開された『春一番』今年もやります。 2日間(‘95.5.4&5)を3日間にして、大阪のアーティストを中心に、ゆっくり、ハードに演ります。 どこまで自由に出来るのか、楽しく出来るのか。 新しい唱が生まれ、新しい出会いがある。1アーティストのみの「キャーキャー」いうだけ ではなく。 歌い続けられる、語り続けられるコンサート。 みんなをびっくりさせるスペシャルゲスト。
今年は、私たちの力だけで、はたしてどこまで出来るのか、またできるものなのか、を実行したくて、スポンサーをゼロにしました。
現在の日本のコンサートは、スポンサーなしではなにも出来ない経済状況ですが、私たちはそれを当然のごとく、自然に受け止め、これまでの人生を試してみます。
だから私たちは、大好きだった音楽を、これから大好きになる音楽を確認するべく、ふたたび、今年の『春一番』を開催させるのです。 |
1971年から1979年まで 毎年5月の連休のころに「春一番」というコンサートを9回続けてやりました。
去年の通算11回目からは 服部緑地公園野外音楽堂に会場を移しました。
クソ
「春一番‘97(通算12回目)」はロックのナツメロ大会ではありません。出演者もお客サンもスタッフも みんな前向きのロックンローラーです。 |